ひらめきに従って突き進み、今がある!伊予市の町家で寄付型リサイクルショップを運営中。

子どもおさがり専門店 metome(みとうみ)逢沢亜月さん 伊予市の人々
子どもおさがり専門店 metome(みとうみ)逢沢亜月さん

逢沢 亜月(あいざわあつき) 【子どもおさがり専門店 metome(みとうみ)】

経歴

東京から愛媛に移住。2016年からの3年間、伊予市地域おこし協力隊(佐礼谷地区)の活動を行う。現在は「まちづくり郡中 町家」内に寄付型のリサイクルショップを立ち上げた。現在も佐礼谷に在住。

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※2020年11月に取材、執筆した際の情報です。


都会から移住したきっかけと佐礼谷地区に住むまで

-逢沢さんが東京から移住してきて、ずいぶん経つんですよね。

2020年で、もう15年目になりました。田舎で子育てをしたい思いがあり、長女が生まれる際に大洲の築100年の古民家へ移住したのがはじまりです。古民家は1年半で一旦離れたのですが、2人目の出産の際にもう一度大洲へ戻りました。しかし、生活にはいろいろ不便がありました。たとえば当時の大洲には、年少の子どもを預かる施設がなかったんです。そこで、その後は松山に引っ越して6年ほど暮らしました。

-松山暮らしのあと、現在お住いの佐礼谷へ引っ越すきっかけは何でしたか?

松山では子どもの受験など、東京で暮らすのと変わらない都市型の生活をしていました。わざわざ地方へ移住してきたのに、都会と同じスタイルの生活に違和感がありまして。そのときたまたま佐礼谷地区で「地域おこし協力隊」の募集があったので思い切って応募し、家族で佐礼谷へやってきました。

-松山暮らしに慣れていたお子さんはすぐに賛成してくれたんですか?

それが…私の予想以上にものすごく泣かれました…。実は佐礼谷へ行く計画を、子どもたちには内緒で進めていたんです。「さぁ、来月から転校だよ!」と伝えると、「友達と別れたくない!全校生徒が15人の学校なんて嫌だ!」と。親としては「佐礼谷暮らしは我が子のためになる」と信じての行動だったんですが。最初は納得してもらうのが大変でしたね。最終的には「もう決まっちゃったんだよね!」と説得して連れていきました。

-子どもさんにとっては、環境がある日突然ガラリと変わるのを受け入れるのは難しいかもしれませんね。引っ越し後は納得してくれたんですか?

佐礼谷や新しい学校のいいところをたくさん伝えて、納得してもらおうとがんばりました。「新しい学校には(子どもの苦手な)マラソンはないよ!」と話していたんですが、実際はあって「話が違う!」と言われたことも。そのときは半年間、子どもと一緒に毎朝ランニングの練習をしましたよ。罪滅ぼしですね、笑。そうしたら子どものマラソンタイムがよくなったんです。さらには水泳でも伊予市の1位がとれ、自信がついたようです。そして次第に学校に馴染めるようになりました。

佐礼谷の小学校の児童は全校で15人。少人数教育だと自分ががんばれば、必ず誰かの目に留まります。誰かが見てくれているから、さらにがんばって成果が出る。成果が出れば、いい評価が得られる。このようなよい循環が起きたので、少人数教育は結果として娘の性格に適した環境だったのだのでしょう。

佐礼谷への移住は「掛け」だったかもしれません。でも成功か失敗かなんて死ぬまでわからないですよね。10年20年スパンで考えて、子どもにとってよいと思う環境を用意することが、親の役割なのではないかなと思います。


子どもおさがり専門店 metome(みとうみ)をはじめるまでの経緯

-次に、現在経営されているお店について教えてください。なぜ町家でお店をやろうと思ったんですか?

私は「施設惚れ込み型」なんです。地域おこし協力隊の任期中から「まちづくり郡中 町家」の存在は知っていました。南予と中予の中間点である立地がいいと思いましたし、子ども連れで来やすい場所ですよね。駐車場は完備されているし、認知度があるし、家賃は安い。条件と空間に惚れて、場に呼ばれたような気がしてここにお店を出したいと思っていました。

あるとき「人・金・場所」の条件が突然そろったんですよね。地域おこし協力隊の任期が満了し新しい仕事をはじめようと思っていた私、新規開業のための助成金、町家にできた空きスペース。これはやるしかないなと思いました。

-もともとリサイクルショップにご興味があったんですか?

それが違うんですよ。当初はクレープ屋さんをやれないか検討していました。伊予市には複数の削り節工場が立地していますよね。地元の食材を使って「おかかクレープ」はどうかなと。しかし、検討を進めていくうちに採算を取るのが難しそうだなとなりました。

では私に何がやれるか、計画を白紙に戻して考えたんです。自分の人生を振り返ってみると、子育ての経験が大きくて。その中で洋服や子ども用品の「おさがり」に助けられたことが浮かび上がってきました。なので今度は私が地域の中で「おさがり」を循環させる役割を担えるのではないかと。こんな経緯で寄付型リサイクルショップである「子どもおさがり専門店 metome(みとうみ)」が生まれたんですよね。

-寄付型リサイクルショップは、日本ではまだ認知度の低い形態ですよね?

はい。海外では定着してきていますが、日本ではまだまだですね。親からは理解を得られなくて反対されましたよ。でも「上の世代が反対することこそチャンスだ!逆張りだ!」とピンと来て強行しました、笑。私の想いとしては、親の世代ではなく若い世代にリサイクルの選択肢を与えたい。我が子もそうなんですが、今までの生活スタイルになかった経験でも、与えると楽しむんですよね。新しい文化を作っていけたらと思っています。


-今までお話を伺ってきて、逢沢さんの「ひらめいたら前に突き進む姿勢」に圧倒されています。逢沢さんの中で何がエネルギーとなっているのですか?

ひとことでいうと「みんなを元気にする仕事がしたい」想いですかね。伊予市の「キティちゃん」的な存在になりたいですね、笑。キティちゃんって、見ているだけで笑顔が生まれるじゃないですか。移住、地域おこし協力隊、metomeなど、今までいろいろやってきた活動はすべて、自分の中で軸は一緒です。

あとは「初志貫徹」といいますか、途中で投げ出したくない性格です。自分から動くとうまくいかないケースはたくさんあります。でも、少しの障害によってめげるような想いで飛び込んでいないんですよね。うまくいっていないことも「いつかうまくいく!」という心持ちで活動しています。


インタビューを終えて:

逢沢さんは「キティちゃんになりたい」のような発言がありながら、「初志貫徹」のような硬派な一面も併せもつ不思議な魅力のある方でした。相反する2つの側面が自然体で共存している印象を受けました。逢沢さんなりの幸せを追求して突き進むからこそ、周囲に人が集まってくるのでしょう。今回はご紹介できませんでしたが、metome(みとうみ)は新たにバージョンアップしていく予定のようです。ぜひ町家にある店舗を訪ねてみてくださいね。

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